土曜の午後。家にランドセルをおくと, 一キロ弱離れたバス停まで田舎道を歩いていく。 小学校の三年か四年だった私は,軽い受け口を直す矯正治療に, 毎週バスで歯医者に通っていた。一時間に一本しか来ないので,乗り遅れないよう十分前にはバス停に着く。いつもの車掌さんに軽くあいさつしてバスに乗り,行き先を告げて子供料金二十五円を渡し,切符を切ってもらう。歯医者のある市の中心街へは二十分ほどでつく。
治療を終えてバス停に戻る。次のバスまで時間があるときには,停留所を二つ分,そう子供の足で十五分ほど歩く。そこから乗ると,五円安くなるのだ。二回歩けば自動販売機のジュース一杯分。ほかの医者に通っていた友達から教わった「必殺技」だった。
比較的すぐにバスが来たのだろう,五円の倹約をせずに歯医者の近くのバス停から乗った日のことだった。同じ停留所から,メガネをかけた,いかにも街育ちといった雰囲気の少年が乗った。何となく気になって様子を見ていたのだが,出口付近に立ったまま,あいている椅子にすわろうとしない。
その子は,なんと二つめの停留所,つまり私が倹約のため歩いてくる停留所で降りてしまった。この行動は私の理解を超えていた。いったい全体,何でこんな短い区間をバスに乗るのだ!
五円玉がとてもとても貴重だった,そんな大昔の思い出である。
玄関の戸を開け外に出る。真っ暗闇の中,トイレを目指す。あと少しだ。手探りで裸電球のスイッチをパチッといれ,あたりが明るくなってホッと一息。シャーといい気持ち。
おかしい。何やら暖かいものが股間を走っている。しまった。またやってしまった。
私が小さい頃住んでいた家は,明治時代に建てられた古いもので,トイレが家の外にあった。暗闇に白い雪が舞うような寒い夜でも,ぬくぬくとした布団からやっとの思いで抜け出し,用を足しに行かなければならなかった。時間にすれば十分もかからないのだが,なかなか布団を出る決心がつかず最後の最後まで我慢して,やっとのことで起き出していくのが常だった。
意識があって起き出せればよいのだが,時として夢の中で布団から抜け出して,トイレに駆けつけるときがあった。ホッとしたのもつかの間,下半身に広がる冷たい感触で我に返り,ごそごそ起き出して始末をしなければならなかった。
小学生の時,使いを頼まれ,叔母の家に一人で泊まったことがあった。いつものように夜中に用を足したくなり起き出したのだが,寝ぼけていた私にはトイレの場所がわからない。家の中を,あっちへ行きこっちへ行きしているうちに,とうとう我慢ができなくなり,畳の上を水浸しにしてしまった。
それでも眠かった私は,そのまま再び布団にもぐりこみ,知らん顔をして眠り込んでしまった。半分眠りながら,叔父が起き出してきてあたりを見回していたような記憶が残っている。翌朝,何もなかったように朝飯をいただき,家に戻ったのだが,あの夜のことは実は今でも鮮明に覚えている。
今の私,夢の中でトイレに行くことはあっても,そこで用まで足すことはなくなった。だが,ふと気がつくと足がトイレに向いていることが多い。あの夜の十分間が夢だったら,もっと平和な日々が送れているのかもしれないのだが。
朝から晩までコンピュータの前に坐っているため,肩や首,腰などが慢性的にこったり痛かったり。そんな私にうれしい味方が現れた。近くに温泉がオープンしたのである。近くの駅から無料送迎バスがあり,家から30分少しで温泉に浸かることができるようになった。
最初に行ったのは7月末の日曜日。友人が「いい,絶対いい」と勧めていたのを思い出し,「今日,温泉に行こうか」と家族みんなで繰り出した。10:00発の送迎バスに乗り,20分弱で到着。「カラスの行水コース」という1時間以内のコースを選び温泉へ。前に行ったことがある別の東京の温泉と同様,ここのお湯もコーラのような黒い色をしている。でも,とても気持ちいいのだ。
完全にはまってしまって,1週間に1度は行っている。最近多いのが夜のコース。仕事と食事を終えて,午後7時あるいは8時のバスに乗り,カラスの行水コースで1時間,少し送迎バスで待つけれど2時間半ほどで家に戻って,あとはビールでも飲んで「お休みなさい」というコースだ。
銭湯にに比べるとちょっと高めだけど, 温泉宿に1回泊まりで行くお金があれば,こちらには10回は行ける。 そして,この温泉は体にとてもいいような気がする。 お近くの方,おすすめです。